福岡県筑紫野市では、終戦間際の昭和20(1945)年八月八日に起こった米軍戦闘機による「西鉄筑紫駅列車銃撃事件」で被弾した西鉄筑紫駅の待合所を保存しています。待合所は、昭和56年の駅移築に伴って取り壊しの予定でしたが、「事件を風化させない」という地元の方々の熱意により、西鉄から譲り受けて「平和のシンボル」として継承されていました。その後、待合所の老朽化が懸念されたため、筑紫野市が平成27年に「筑紫平和祈念館」を建てて屋内に移設し、よりよい環境で保存しています。
毎年、8月8日には、地元区を中心とした団体により事件の慰霊祭が行われており、近隣の小学生や中学生が平和学習に訪れます。また、筑紫野市ではこの事件を伝えていくために、映像資料『語り継ぐ平和への祈り』や事件の聞き取り調査成果をまとめた報告書などを作成し、待合所の保存とともに事件を知ってもらうことで平和へ繋げる取り組みを行っています。
[写真提供:筑紫野市]