国際司法裁判所による勧告的意見の10周年記念会議でのスピーチ

2006年7月5日[オランダ・ハーグ 平和宮にて]

(仮訳)
平和市長会議会長・広島市長 秋葉忠利

御紹介ありがとうございます。平和活動家同志の皆さん、この場にいることは私の喜びであり、光栄でもあります。まず、ヒロシマ・ナガサキのヒバクシャに代わり、10年前に国際司法裁判所による歴史的な勧告的意見として実を結んだ皆さんの取組みに感謝することから、私のスピーチを始めたいと思います。また、同じくヒバクシャに代わり、勧告的意見の精神を貫くため、引き続き取り組んでおられる皆さんに、改めて感謝申し上げます。こうした皆様の取組みが、2020年の核兵器廃絶として結実するものと期待しています。

この精神において、現在の核兵器について考えていることは言うまでもありませんが、核兵器に思いをめぐらすことは、都市や文明そのものの運命を考えることなのです。使用された二発の核兵器は都市に投下されました。ヒロシマとナガサキを一瞬のうちに破壊し、多くの生き残ったヒバクシャの命をも奪い、長年、ヒバクシャに苦悩を強いてきました。核兵器は、それが「小型核兵器」と呼ばれるものであっても、非常に強力かつ甚大な放射能被害をもたらします。そのためひとたび使用されれば、確実に人類に対して広範囲な被害をもたらします。核兵器の使用・威嚇は一般に国際人道法に違反すると判断した国際司法裁判所は正しかったのです。

ですから、1996年の国際司法裁判所の勧告的意見を記念する行事を市長が率先して行ったということは、驚くにあたりません。私は、広島・長崎の両市長がICJの審議に効果的な影響を与え、またヒバクシャの生命や生活それ自体がICJの決定におそらくそれ以上の影響を与えたということを信じてやみません。ヒバクシャの話を今日ここで繰り返し語る必要はないと思いますし、また来月には、広島への原爆投下から61年目を迎えます。多くの方々がご覧になったように、大災害を被った我が都市は、表面的には、復興したように見えますが、痛ましい記憶は、未だ癒えていません。こうした記憶は、決して忘れられてはならず、そのために、記憶を引き継ぎ、世界からこの最も非人道的な脅威を取り去ることが、新しい世代の重要な義務なのです。

私が先ほど使った、都市(cities)、市民(citizens)、文民(civilian)、そして文明(civilization)という言葉について、少し考えてみてください。これらは全て同じラテン語に由来しています。都市は全ての文明の発祥地であり、今日まで続いています。多くの課題全てに対して、現代都市は、文明を持続可能にするあらゆるものを包含しており、交流、交易、意見交換の場であり、芸術や知識という素晴らしい財宝を保持しておく場所です。また多くが都市自体、建築や公共空間を整備した財産でもあります。都市は、法律という概念がまず根付く場所であり、それゆえ今では最高裁判所は地球上のどの国にも存在します。実際、都市機能を可能にしているのは、法廷なのです。法の支配、あるいは民法典なしに、何万人もの人々を小さな地域に押し込め、共存し、生産的な生活を送ることを期待することは出来ないのです。

都市は、世界経済、芸術、教育やその他多くの分野を牽引してきましたし、21世紀においても、都市は引き続き多くの分野を牽引していくことになるでしょう。事実、2年前に広島で開催した第一回日米都市サミットにおいて、21世紀は「都市」の世紀となるとの結論に達しました。先日、カナダのバンクーバーで、ワールド・アーバン・フォーラム及びワールド・ピース・フォーラムが行われたことは、こうした趣旨に一致していると思います。また政府が安全保障や繁栄を提供していることを監視するよう指導されてきましたが、おそらくもう少し深いところを見る時期に来ていると思います。都市は、国際的な取組を支援するために踏み出す必要があり、特に、国家が対応を怠ったときにはなおさらなのです。

現在の核不拡散や軍縮における複合的な膠着状態は、政府側の明確な怠慢を表していることに疑いの余地があるでしょうか。都市は、こうした問題を悪化させることができないのです。我々が犠牲になることに疑いの余地がないからです。我々は、必要以上の警告を受けてきたので、これが惰性になってしまったのです。冷戦時代に”完成した”核抑止は、いまだ敵方の人々、すなわち都市を核攻撃の人質と取っていることで成り立っています。警告が、戦略を明確化できないのが「相互確証破壊-MAD」です。

今日の午後、ハーグ市役所において、我々は公式に、「都市を攻撃目標にするな(CANT)プロジェクト」を発表する予定です。世界中の都市は、「冷戦」から脱却し、核の「相互確証破壊-MAD」に対して反乱を起こすことでしょう。私たちは、これ以上、非人道的かつ違法な脅威の従順な人質となり続けることは出来ません。この歴史的な場所で、私は、より広い側面に焦点を当てたいと思います。都市や市長に限らず、一般的に市民社会に関係する「誠実さ」についてです。国際司法裁判所のウィラマントリー元判事が先ほど我々に雄弁に語っていただいたことに、謝意を示すために、市長や市民の観点を申し上げたいと思います。

仮に、社会の主要な人物が法律を軽視した場合、法律は本来の目的を達成できません。「誠実さ」とは、社会を機能させる上で、欠くことのできない要素です。市長は、市民の信頼や運命を委ねられているのです。市長が法律違反をしないだけでは充分ではありません。市長はいかなるときも「誠実に」振る舞わなければならないし、ましてや、権力や富に惑わされそうなときはなおさらです。この点において、他の公共機関で働く人たちと比べて、市長や都市は、非常に有利です。我々市長は、直接市民と連携して、職務を遂行しなければなりません。市民と近くにいることで、市長は誠実であり続けることになり、また我々の義務をより簡単に遂行できるのです。

世界中の都市が核兵器拡散を防ぎ、逆行させるために参集するとき、誠実さに依拠した法律の規範を築くのです。核不拡散条約(NPT)第6条には、その言葉が明記されています。第6条には、核を保有する5か国に対し、交渉と検証可能な合意の下で核兵器を放棄するよう要請しています。

問題は、影響力のあるものが、権力の誘惑に屈して、法を無視する道を選んだのではないかということです。本質的成果の欠如から判断して、特に、この義務が10年前のICJの勧告的意見で強調されて以来、少なくとも数か国は実際に法を無視する道を選んだと結論付けるしかありません。これは、重要な告発であり、考え直さねばならない事例です。核兵器を使用する人々が、誠実に行動するであろうとは考えがたい状況で、地球の未来はどうなるのでしょうか。

同志である平和活動家の皆さん、こうした恐ろしい側面があることを心に留めて、平和市長会議は地球上の全ての市民に問題提起を行っています。これが、誠実な交渉義務推進キャンペーンである、「Good Faith Challenge」です。我々一人ひとりにとって、誠実さを育み、平和を育むことは神聖な義務であり、治安や文明がこれまで以上にこれに左右されるのです。文明に背を向けたテロリストたちが誠実に行動することは期待できませんが、我々の国の指導者たちには期待できますし、また誠実に行動するよう期待されるべきなのです。こうした誠実な行動をしているかどうかを諮る究極の方法は、NPT第6条とICJの勧告的意見です。国家の指導者が、都市が危険な目にあうような賭けを行うのは、おそらくまだ我々がそうしたことを止めるよう強く要求していないからだと思います。市長だけでなく、全ての市民が国家の指導者に対し、間違った道を進まないよう、また法の支配、特に国際法の支配を尊重するよう要請していかなければなりません。

今日、我々は世界法廷プロジェクトに関する話を聞きました。世界中には何百という企画があり、人々が自国政府に対し、核不拡散と軍縮に向けた誠実さを見せるよう要請しています。こうした善良な市民、善良な医師、そして善良な法律家(弁護士)が、善良な市長に活動に取り組むよう促すのです。2020ビジョンキャンペーンの第II期では、加盟都市に対し、市民と共にこうした運動に参加し、活動にふさわしい場所ではどこでも支援や指導力を発揮するよう呼び掛けていきます。

多くのものと同じように、誠実さにも二つの側面があります。交渉の場に出向き、全ての兵器をテーブルの上に置くことは重要ですが、それだけでは十分とは言えません。「言うべきときに言わなければならない」と言います。ですから、「せねばならぬ時にしなければならない」のです。ウィラマントリー元判事の言葉を借用して言い換えるならば、言行一致でなければならないのです。合意に達した事柄は、細心の注意を払って実行しなければなりません。IAEAの保障措置協定に署名すれば、協定に従わなければなりません。条約に署名すれば、批准しなければなりません。ICJ勧告的意見からちょうど一年後に、国連本部において、CTBTの署名が始まりました。米国は最初に署名した国ですが、9年後の現在、批准する意志のないことを宣言している唯一の国家となっています。これは、誠実に交渉しているとは言えませんし、米国人に対し、そうした行動を改めるよう要請しなければなりません。

ほかにも、政府が「するべき時にしなければならない」ことを怠る例があります。交渉の成立は、交渉相手の誠実さを信頼することにかかっています。いかなる核の脅威もこうした信頼を揺るがすことになります。特に悪質なものは、核の先制使用をちらつかせること、いわゆる核による先制攻撃のことです。こうした考え方の元では、都市は人質ではなく無防備な攻撃対象となります。こうしたことから、全米市長会議が、都市を攻撃するなという考え方を先に進め、いかなる目標への核の先制攻撃に反対していることは、非常に素晴らしいことです。詳細は、後ほど、アメリカ・オハイオ州のノースオルムステッド市長から話があると思います。

平和市長会議は、117か国・地域、約1400都市の加盟都市に対し、核兵器の使用をほのめかすことに、特に権力者による核兵器使用の示唆に対し、反対するよう呼び掛けていく予定です。また、警報即発射のような危険な威嚇政策や、威嚇の姿勢に反対する市民活動を支援する方法を加盟都市が見つけるよう願っています。これは、核武装国にだけに当てはまるものではなく、自国領土内にそうした武器配備をしている同盟国に対しても同様です。

また一国主義政府の行動が、軍縮交渉を停滞させるためにとる他の方法は、核兵器システムの取得です。核兵器廃絶のための交渉を結論付ける約束をしている国家が、一方で次の半世紀へと続く新しい核兵器システムの取得のために国家の資金を費やしている状況に、問題があると考えられます。こうした計画を棚上げし、交渉が適切に前進するまで保留にするという政策が「誠実な行動」なのです。

平和市長会議は、核兵器保有国にある加盟都市に対して、決して存在し得ない、または、機能強化されるべきではない兵器システムに市民の税金を浪費していることに、抗議するよう呼びかける予定です。ここに来る途中、何名かの市長とオルダーマストンの核兵器製造工場へ立ち寄ってきました。この施設では、新しいトライデントミサイル用の核弾頭を製造し、寿命を延ばしているようです。この計画は、確実に、軍縮交渉を活発にするものではありません。英国は、他の核武装国が見習うべき核政策の良い面も持っているので、核政策にしっかりと反映させなければなりません。

こうした全てのことは、核武装への依存と関係しています。核武装国が核に依存する姿勢をやめることが明らかになるまで、その他の国は、永遠にそうした依存を放棄する気にはなりません。こうした二重のメッセージが、NPT体制のみならず、核軍縮体制全体に腐食作用をもたらすのです。また、これは、弱小国の核武装を阻止するために、大国が戦争をけしかけることを意味します。そのような規模の戦争に、何度地球は持ちこたえることが出来るのでしょうか。なぜ、我々が耐えなければならないのでしょうか。

親愛なる平和活動家の皆さん、我々はすでに国際法を軽視した状況を目の当たりにしてきました。都市や国家は、廃墟となり、青年たちは家から遠く離れた場所で息絶えるのです。多くの市民や国際社会の主要な意思を無視しているのです。誠実さを求める要望は、広範囲かつ緊急に広がっています。まず、個人、市長、議員やそれぞれの国家指導者がはじめなければなりません。草の根から、上層部の活動まで広げていかなければならないのです。これは、大きな課題から逃げているわけではなく、核兵器は確実に最大の課題の一つなのです。

核兵器のない世界を実現するための2020ビジョンキャンペーンは、市民や指導者が共に、この目的を達成するために賢明に活動するならば、そう遠い道のりではありません。誠実さは、奇跡をもたらすのです。

ご清聴ありがとうございました。