2025年万博国連パビリオンにおける「核兵器の遺産に関する世代間対話」

2025年8月[河野勉専門委員]

大阪・関西万博にある国連パビリオンは、8月12日に、「核兵器の遺産に関する世代間対話」と題するパネル・ディスカッションを館内の劇場において開催しました。このイベントでは、中満泉国連軍縮担当上級代表の司会のもと、原子爆弾の被害の遺産を守る上での芸術と物語の役割に焦点を絞り、生後8ヶ月で広島で被爆した近藤紘子氏の証言を聞くとともに、被爆の伝承に取り組む若い世代の努力を紹介しました。

近藤紘子氏は、1946年8月31日号のニューヨーカー誌の特集「ヒロシマ」でジョン・ハーシー氏が被爆の体験を綴った6人の被爆者の一人である谷本清牧師のお嬢さんです。近藤さんは 30分間にわたる証言の中で、広島に原爆を投下したB-29爆撃機エノラ・ゲイの副操縦士との感動的な出会いについて語り、この出会いがアメリカへの憎しみを抱いて育った少女を、生涯にわたる平和の語り部へと変貌させたと述べました。

近藤さんは、生後8ヶ月の時に爆心地からわずか1.1kmの地点にある自宅で被爆しました。近藤さんご自身は奇跡的に助かったのですが、ケロイドが顔に残り、心身ともに深く傷ついた女性達に囲まれて育ち、原爆を投下した米軍への激しい憎悪を募らせ、「いつか復讐してやる」という思いを抱いていたていたそうです。ところが、1995年、10歳の時にアメリカを訪問し、広島へ原爆投下したB29「エノラ・ゲイ」の副操縦士、ロバート・A・ルイスと出会いました。その時、ルイス氏が「われわれは何をしてしまったのか)」と悔悟の涙を流す姿を見たのを機に、近藤さんは仇を討つという思いが薄れ、戦争そのものを憎むべきだということに気づかされたそうです。私は以前にも、近藤さんにお会いしたことがありますが、万博の会場であらためて彼女のお話を聞くと、原爆投下が人間に及ぼした影響と和解の力を後世に伝えることの大切さを改めて実感しました。

近藤さんの父親、谷本清氏はアメリカで教育を受けたメソジスト派の牧師で、第二次世界大戦中の1943年に帰国し、広島に移住しました。先述のジョン・ハーシーのルポ「ヒロシマ」は単行本としても出版され、世界で初めて広島の惨状を伝え、アメリカ社会に大きな衝撃を与えました。この出版により有名になった谷本牧師は、15ヶ月にわたり全米で31州を回り、582回の講演を行いました。この講演ツアー中に出会った著名人との交流がきっかけとなり、原爆孤児にアメリカ人が支援する「精神養子運動」が設立されました。また、1955年5月11日、谷本牧師は意図せずして、当時アメリカの人気テレビ番組であった「This Is Your Life」に出演することになり、広島に投下したエノラ・ゲイの副操縦士、ロバート・A・ルイス大尉と面会するという気まずい経験をします。しかし、その番組に出るために谷本さんの家族全員がアメリカを訪れたことが、娘の紘子さんを平和活動家として道を歩むきっかけとなり、父の意を継いで被爆の伝承に献身することになったのです。

また、このパネル・ディスカッションには芸術を通して被爆の遺産を伝承する「デジタル・ストーリー・テリング」の例として、広島テレビの庭田杏珠氏も参加し、原爆投下当時の白黒写真を人工知能を使ってカラー化するプロジェクトを発表し、過去とつながる新たな方法を提示しました。今回のイベントは2025年8月1日から12日まで開催された万博のテーマ・ウィーク「平和、人間の安全保障、尊厳」の重要な一環として開催されました。国連軍縮局はこの期間中、国連パビリオンにおいて特別展を開催し、軍縮に関する個人的な体験や視点が紹介しました。展示には、ハッシュタグ「#MyDisarmamentStory」の動画も含まれており、被爆者やその他の世界中の人々の声を通して、軍縮の意味とその目的を達成する重要を語っています。

[写真提供:河野勉専門委員]