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デュポール大学「広島・長崎講座」現地学習を終えて-参加者の感想

デュポール大学の宮本ゆき・宗教学部助教授より、 昨年実施された広島・長崎講座現地学習 に参加した学生の感想が届きました。一行は帰国後、大学の所在地であるシカゴ市長と面会し、 広島市長が会長を務め、127カ国・地域、2028都市が加盟している 平和市長会議 への加盟を働きかけました。この感想は、その際、シカゴ市長へ渡されたものです。

ハロルド・コニック

僕は原爆とそれが国としての日本とそこに住んでいる人達、そして、文化に及ぼした影響を勉強するため、 デュポール大学の学生と引率教授、計19名で日本に行きました。この旅行では、京都、広島、長崎に行って、資料館を見学したり、 被爆者の語る核戦争の恐ろしさの証言を聞きました。私達は広島市の秋葉市長からの平和市長会議への加盟要請の手紙を携えて来ました。 影響力のあるアメリカの市として私達は立ち上がらなければいけませんし、シカゴ市が、 どんなことがあっても核兵器の存在を許さないということを世界に知らしめなければいけません。どんな代償を払っても、 核兵器の被害は避けなければならないからです。

クリストファー・ホフマン

広島でお会いした被爆者-原爆を体験された方々-の前向きで、許す心を持っていらっしゃることを目の当たりに出来たことが、 この旅行での一番の思い出です。被爆者の方々はこの未曾有で全く必要のなかった広島の原爆の惨禍により、家を無くし、 友達、親戚を亡くし、でも、恨みの中では生きていないのです。僕が、もし同じような境遇であったら、 被爆者の方々のように振舞えるとは思えません。そして、僕の人生の問題が、世界が直面している問題、特に核戦争の恐怖、 に比べていかに瑣末であるかを、被爆者の方々は僕に知らしめてくださいました。この旅行で、広島の惨劇を繰り返さないためにも、 核の拡散について何かをすることの重要性を学びました。

スリーン・アーシード

2007年12月に私は、人生で一番感銘を受けた経験をしました。1945年8月6日に何が起こったかについてのディスカッション、 原爆の威力についての勉強をした後に、私達は広島、長崎の平和公園と資料館を訪れました。平和公園と資料館が私の目を開いてくれたと同時に、 日本の人達が私の心を開いてくれました。私はそれまで、親切で、平和を尊び、許しの心に満ちた人々に会ったことがありませんでした。 被爆者の方々は私達を歓迎してくれて、お話をしてくださる時もとても親切でした。被爆者の方々の心の中には、 (アメリカ人である私達に向けての)憎しみのかけらもありませんでした。皆さんのメッセージは、被爆時の年齢、そして被害の重大さにかかわらず、 一様に平和と愛の推進、そして二度とこの悲劇を繰り返さないことでした。私が願うのは、とても簡単で、それでいて、とても難解なことです -皆が平和に暮らし、愛を持って生き、いつの日か核兵器がこの世からなくなり、私達がそれを必要としない世界の実現です。 いつか平和な世界に暮らすためにも、私達は優しさを行動にあらわすことが必要だと思いました。

クリストファー・ジャンセン

広島と長崎での原爆の衝撃というものは、物理的そして人的被害においても、想像を絶するものでした。そして、 その影響は今もあります。原爆を直接に被った方々と、この痛ましい兵器を生み出した子孫である僕達が出会って、 大量破壊兵器の使用を支持する人達と、核兵器の無差別な破壊力に気づいている人達との差を感じました。 平和市長会議は核兵器のない21世紀を生み出すステップであり、21世紀は、何万人をも瞬時に殺し、 何世代にも亘って影響を及ぼす兵器を許す世紀であってはなりません。世界的規模の市であり、オリンピックの候補地として、 シカゴは平和市長会議に加盟してない世界の諸都市に先駆けるべきたと思います。

マシュー・レックレイダー

人は、人生の中で自分を取り囲む世界というものに対して何度も何度も質問を繰り返し、また再評価していくものである。 温情のある日本の文化をしっかり体験できたことで、僕の道徳心と倫理観はさらに磨かれました。 広島と長崎がどうにか核戦争を生き延びたものの、これ以上、核の被害を被ることは全く不必要です。 ほとんど現実に起きたとは信じられない恐ろしいイメージを決して忘れることはありませんし、それは私の心に焼き付けられました。 世界平和が人類の共存のためにいかに根本的な要素であるか、今確信しています。

ヒューゴ・ルナ

物語というのは、人々が聞き、それから学び、そして興味をもつ、ものだろう。 人生というものも、一人の人間の複雑な物語が複雑な出来事と絡み合って出来る物語だと思います。 この日本への旅行で広島と長崎で起きた悲劇を語り伝えているのは、本や印刷物だけではなく、 被爆者の方々の核兵器の恐ろしさを伝える証言なのだ、ということを学びました。 これらの物語は、原爆の被害を覚えておくためだけでなく、私達が核兵器の現実というものに向き合うためにも語り伝えられる必要があります。

マーガレット・ミラー

デュポールでのクラスを通して、私達学生は日本へ行き、核兵器の恐怖を経験したのち、復興した都市を訪れました。 より良い世界にするためには、この間違いを繰り返さないためにも、原爆のことは決して忘れられてはなりません。 広島と長崎の不幸な罪のない犠牲者は、命の尊さを訴えるためにも、歴史に名を残すべきです。私達は広島・長崎に行って、 何を学んだかを覚えています。今から私達に課せられた課題は私達が日本で見た平和の考えを広め、 原爆の恐ろしさを多くの人にわかってもらうことです。私達の地域コミュニティーで平和について話し合うことは、 この国で長く忘れられていた洞察力というものを養うに違いありません。

ロンダ・モフェット

私達の広島・長崎の研修旅行が始まったとき、核兵器、戦争、そして平和は、私にとって、重要な問題ではありませんでした。 日本で実際に過ごした後、私はこれらの問題がいかに今日の私達に深くかかわっているのか、ようやく理解しました。資料館を見学し、 被爆者の方にお会いし、祈念碑に行き、原爆というものがどれだけすさまじいものであるかを習った後では、戦争と核兵器があっていい、 とはもはや考えられません。

クレア・シャーマン

日本で過ごした短い時間に、私は地域社会の結束と、平和への献身で満たされた人々に会いました。 これらの人たちが、憎しみや報復ではなく、平和主義と核戦争防止といった考えで恐ろしい経験を、 省みているということに畏敬の念を禁じえません。日本の人々の、原爆を経験して以来の一番のメッセージは、 全ての生きとし生けるものへの尊敬です。私は幸運にもこういった経験できましたが、 この貴重な経験を持つ国を訪れることが出来ない多くの人がいることが残念でなりません。しかしながら、 世界中の人々が平和の尊さ-核兵器の存在によって全く脅かされていますが-を広める日本の例に従うことは可能だと思います。 もし大量破壊兵器に賛成の人たちがそれらの兵器の使用による波及効果を本当に理解するなら、それらの使用が(実際の使用と、 威嚇のための所有も含め)選択肢にあるはずはありません。63年前に起こったことを二度と繰り返してはいけません。 これが、私がこの旅行から学んだ一番大切なことです。

アシュレー・ウェード

日本への研修旅行で、私は日本の歴史や文化だけでなく、実際に暮らす人々についても、洞察を得ました。 人間が、他の人間に対して破壊的行動をとらせるものは、私達自身の中にある、分け隔てをすることによるのだということが、わかりました。 日本の人々は私に他人に対して許容する心と温情を持って対することを教えてくれました。 他人に対するそういった態度と徳行とに私は感銘を受けています。人類を滅亡から救うには、他人との間に境界線を引かない、 こういった優しさが必要です。お互いに核兵器を使用したり、それを使って威嚇したりといったことがない、友愛の精神をもたなければなりません。 私は人類存続のためにも、シカゴ市民を代表してシカゴ市長が平和市長会議に加盟するよう要請します。

マシュー・ズズィアック

デュポール大学の日本への研修旅行で僕は核兵器が作り出す威力というものを目の当たりにしました。 原爆は、単に無垢の何千人という市民を殺しただけでなく、その後遺症というものが、戦後何十年も病気と死を招きました。 僕はどんな人間も、原爆のような非人間的な兵器で攻撃されるべきではない、と信じているからこそ、 世界中の市長が市民を守るために一緒に協力するべきだと思います。広島と長崎の市民の長年にわたる苦難を忘れるべきではないし、 二度とこの悲劇が繰り返されないようにしなければなりません。平和市長会議に加盟することで、シカゴ市長が、 シカゴ市が核廃絶と平和に向けて進んでいる、ということを世界に知らしめる良い機会になると思います。

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