2010年度後期
開設大学とシラバス
京都精華大学 文学ジャーナリズム論
人文学部
2単位
中尾 ハジメ
「文学」と「ジャーナリズム」とを区分するとらえ方はあるが、この授業では、あえて、ひと続きのものとしてとらえる立場から、文学とジャーナリズムを論じたい。
フィクションとノンフィクションというジャンル分けについても、しごくもっともな根拠をもち適切な区分であることを認めながら、なお、別々のものとしてとらえるよりも同根のものとしてとらえるべきだという立場である。
昨今、職業としてのジャーナリズムは、ますますそれ自体として特化し、経済ジャーナリスト、スポーツ・ジャーナリストなどのさらなる専門分化も見受けられる。
また、文学のほうでも、小説家、脚本家、エッセイスト、児童文学家というような従来からの職業特化はもちろんのこと、サイエンス・フィクションとは別種とされるサイエンス・ファンタジーなるジャンルが確立されたかと思えば、三文小説家ならぬライトノベル作家を志望する人たちが出現するという具合である。
このような細分化の現実やその必然性も探求にあたいするにちがいないが、この授業で論じようとするのは、むしろそのような細分化の過程で失われかけている、文学とジャーナリズムの同根性である。
「文学」と「ジャーナリズム」を区分けするとらえ方の背後には、文学がかぎりなく私的な趣味に近く非実用性や虚構性を特色とし、他方ジャーナリズムが客観的事実の伝達であり公共性と現実的実用性があるという偏狭きわまりない見方が重なっていないだろうか。具体的な「文学ジャーナリズム」の仕事をテクストとして読むという作業からはじめ、またその創作過程や発行・出版の伝達過程を検討し、文学およびジャーナリズムそれぞれの擁護につなげたい。
メディア・リテラシーなるもののマスター、あるいは文学理論やコミュニケーション理論などの用語の理解などを、なかば無理やり到達目標とすることはできるかもしれないが、なによりもそれぞれのジャーナリズムが伝えようとする人間と社会の具体性をしっかりと(共感的かつ批判的に)読み取り、それに呼応する自分の問題意識を形成することが、ジャーナリズム自体の目的であることはもとより、この授業での学生諸君が目指すべき大きな目標でもある。しかし、それを管理手順マニュアルよろしく、ここに箇条書きにすることには、およそ意味がないだろう。
もちろん技法意識は重要であり、その意味では、要約の仕方、調査・取材の仕方、レジュメの作成法、レポートの書き方などをマスターすることを、もうひとつの実践的到達目標とすることはできる。
ルポルタージュ、ノンフィクション、オーラルヒストリーなどに分類される文学作品あるいはジャーナリズム作品の、膨大な累積のなかから、そのごく一部を紹介し、作者あるいはジャーナリストの主題がいかなるものであるか、という核心に少しでも近づくことを試みる。
- 1945年8月6日広島
- 1945年8月9日長崎
- 太田洋子『屍の街』
- 重松静馬『重松日記』と井伏鱒二『黒い雨』
- 長崎医科大学物理的療法科『原子爆弾救護報告』、永井隆『長崎の鐘』
- ジョン・ハーシー『ヒロシマ』
- 大岡昇平『俘虜記』
- 開高健『ベトナム戦記』
- 開高健『サイゴンの十字架』
- スタッズ・ターケル『仕事!』
- スタッズ・ターケル『よい戦争』
- 村上春樹『アンダーグラウンド』
- 村上春樹『約束された場所で』
- 中村哲『ペシャワールにて』
- 中村哲『アフガニスタンの診療所から』
期間中に提出することになるレポート(3回)で評価する。出席は毎回提出する質問票によってチェックし、欠席が三分の一以上の場合はレポートの提出如何にかかわらずFとする。
レポートは、内容の把握、批判的思考、論理的思考、適切な論拠の提示、主張の明確性などの側面によって評価する。