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広島修道大学の現地学習とその感想

1.現地学習

広島修道大学で「広島学」を受講する学生(約50名)が、5月8日(土)と6月5日(土)の2班に分かれ、現地学習を行いました。それぞれの受講者は、平和記念資料館のほか江田島海上自衛隊第1術科学校(広島県江田島市)を訪問し、平和問題について学びました。

平和記念資料館での現地学習は、資料館を見学した後、被爆体験者の証言を聴講し、被爆の実相について理解を深めました。

A班(5月8日の現地学習)

広島平和記念資料館の見学

広島平和記念資料館の見学

被爆証言講話の聴講

被爆証言講話の聴講

B班(6月5日の現地学習)

広島平和記念資料館の見学

広島平和記念資料館の見学

被爆証言講話の聴講

被爆証言講話の聴講

2.現地学習後の感想

小学校以来、来てなかったので久々でした。
自分が広島出身なだけに、すごく興味を持ちました。
なぜ広島に爆弾が投下されたのかなど初めて知りました。
悲惨さを改めて感じました。
お話を聞いて、想像するだけでその時の辛さや悲惨さが伝わってきました。
考えられない景色だと思いました。
言葉には出来ないくらいの悲惨さを感じました。
どんなに今が平和であるのか実感しました。
核なんて早くこの地球からなくなってほしいと心の底から思いました。 本当に勉強になりました。

今日、平和記念資料館を見学し、被爆者の方のお話を聞いて、広島県に生まれ育ち、今まで平和学習を受けてきたにもかかわらず、新しく学ぶことばかりでした。小・中学生の頃は何回も来ていた資料館で、あの頃もたくさん衝撃を受けましたが、大学生になるとやはり受けとめ方が変わって、ただ「かわいそう」とか「悲惨」という気持ちだけでなく、もう2度と繰り返してはならないものだと認識し、その為にもたとえ目をふさいでしまいたくなるような写真や展示品でも凝視し、お話をちゃんと聞きました。しかし今日1日だけ学んだとしても、まだ足りないだろうし、まだまだ知らないことがあります。もっと積極的に平和学習をしていこうと感じました。今日はお話をしていただき、ありがとうございました。

戦争は本当に残酷で悲惨なことだと思います。最初に地下に降りて戦争の現場を見た人が描いた絵を見て、被爆された方達の苦しさが伝わってきました。水を求めて井戸を目指し、力尽きた人達・水を飲んで死んでしまう人達・水を求められそれをあげることのできない人が今現在もそれを悔やんでいる事など本当に心を打たれました。原爆による爆風で割れたガラスが体に突き刺さり、それが体内でこすれ合っている音が聞こえるという話を聞いたときには衝撃を受けました。そのガラスを取り除く作業が今行われているという話も聞きましたが、これで被爆者の方の苦痛が少しでもやわらげばと思います。 松本さんの話の中で、原爆が投下された時の印象が、太陽が落ちてきたようだったという言葉がすごい印象的だった。建物は建て直せば元に戻る。草木も時間がたてばまた生えてくる。しかし、体内に残った放射線を被爆された方々に残った心のキズは65年たった今も消えることはありません。そういうことを引き起こすことが核であり戦争なんだなと感じました。

原爆の被害体験を聞いて、全く想像もできない出来事が過去に起こったことを改めて実感しました。原爆が投下された瞬間から恐怖の中で生きているのだと今までは思っていました。でも松本さんのお話を聞いて恐怖ではなく、死に直面している中で、まず、生きることに必死にならざるを得なくて、恐怖を感じている時間もなかったのだと思いました。原爆によって亡くなった人、自ら死を選んだ人、後遺症によって亡くなった人。どれもが一瞬にしてその人達の人生、その人の家族の人生を奪ったのだと思うと原爆は二度と繰り返してはいけないと思います。

原爆を体験した人からお話を聞けたことは私にとってとてもいい経験になりました。自分が直接体験したことではないので、自分が伝えることができるメッセージは決して多くはないですが、最大限できることはやっていきたいと思います。被爆者から直接話を聞ける最後の世代が僕たちだということをしっかり自覚して行動していきたいです。

今日の現地研修を終えて考えた事・感じた事というのは、ありきたりかもしれないが、繰り返されてはいけないと思った。そのために、自分たちの世代ができることを小さくてもいいから何か一つでも次の未来に継承していく事が大切だと感じた。また松本さんの話を聴かせてもらってとても勉強になった。悲惨な状況でもたくましく生きれる人間の強さ。ヒロシマの強さを感じた。

被害者の話を聞いていて、生々しく思いました。背中や色々なところにヤケドを負いながらも、あきらめずに今まで生きてらっしゃるところに強さを感じました。「死にたい」って何度も思ったとおっしゃってましたが、おばあちゃんが生きていたからこうしてあきらめずに生きてこれたんだと思います。家族が一人でもいたから、と考えると、家族の大切さを改めて感じました。松本さんも戦争のことを話せるまでに50年かかったとおっしゃってましたが、私の祖母もたぶんそのくらいかかったと思います。戦争を体験している祖母の話が聞けるうちに、平和のありがたみや、幸せについて聞きたいと思います。

今日のお話を聞いて戦争後の現実について初めて触れ、考えました。戦争中の話は何度か聞いたことがあっても、後の話は聞いたことがありませんでした。生活の厳しさや家族のことなど、肉体的にも精神的にも想像を超えるものでした。そして今ある平和で何も考えない罪を強く思いました。私たちは自分たちの子供に伝える義務も強く感じました。

今日は、本当に学んだことがたくさんありました。原爆資料館へは小学生以来訪れました。ピースボランティアの方の話で初めて知ったことも正直あって自分の知識のなさに情けなくなりました。今の私達1人が「平和」を訴えることは無力なんじゃないか…と思ったことがあったけど、それは違うと確信できました。核は本当におそろしいです。私たちの世代が負う責任が本当に重いけど一つでも何かできることをしたい。今日、被爆された方の話を聞いて今の日本は幸せな生活を送っているなと思った。きっと被爆されて生きていくのが辛かったと思います。私に子どもができた時、広島でこんなことがあったんだよ、と伝えたいと思います。

今日1日で、原爆がどれだけ悲惨なものだったかということを改めて思い知りました。原爆を経験された多くの方々は本当につらい思いをしてきたんだと思うと、核はこの世に絶対にあってはならないと思いました。現在では多くの核がまだ存在しているけど、1日でも早く核なんかない世の中になって欲しいです。今日の話を聞いて、自分たちの今の生活がどれだけ幸せなことなのかわかりました。私たちは原爆を経験していないけど、戦争の悲惨さをきちんと理解しなければならないと思うし、次の世代にも必ず伝えなければならないと思いました。

痛ましい原爆の記憶、リアリティのある経験の共有というものは、この様にイベントとして企画されなければ分かりえないのでしょうか?”原爆”という記憶が、メモリアルとして資料館に閉じられていれば、我々のような世代にはリアリティがもてなくなってしまうでしょう。”生の声”を、次の世代にいかにして伝えればいいのでしょうか?

今日のお話を聞いて、今までの原爆・争いに対する自分の考えの浅さが身にしみました。今までは紛争・戦争は人類の歴史上起き続けてきてその度に犠牲者は出てきて、でもそれはもはやしょうがないかもしれない事のように思っていました。争いはなくならないものなのではなく、なくさなければならないもの、それを今日、本当に深く感じました。

戦争で亡くなった人、奇跡的に生き残った人、それぞれの苦しみや思いがひしひしと伝わってきました。肉体を傷つけるだけではなく、精神をも病んでしまう恐ろしい原爆は私たちの手で廃絶していかなければならないのだと思いました。原爆に対して海外の若者たちのほうが関心を持っていて、広島に住んでいる私たちのほうが無関係のような気がして、少し恥ずかしい思いになりました。本当につらい思いを私たちや世界のために話してくださり、本当にありがとうございます。今を大切に生きることや、原爆を後世に伝える責任を教えてくださったことに深い敬愛の気持ちでいっぱいです。胸を打つものがたくさんあり、何度もこみあげてくるものがありました。

今回の平和学習で、平和資料館に久しぶりに訪れ、終戦から65年たった今でも、新しい事実が出てくることを知り、まだ終わっていないのだと感じた。これからの私たちの世代がしていかなければならない様々な議題があることを再実感した。また、池田さんの話を聞き、原爆・戦争は肉体的にはもちろん、精神的にも人々を壊し、崩していってしまったのだと思う。話で聞くだけで、こんなにも辛いものだと分かるのに、実際に体験した人は、どんなにか辛く、悲しかったのか。私たちの次の世代の人は、生の被爆者の方の話はもう聞くことができないことを、十分に理解し、世界や他の人たちに伝えていくことの重要さを、感じさせられた。

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