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広島修道大学の現地学習とその感想

1.現地学習

広島修道大学で「広島学」を受講する学生(約70名)が、広島平和記念資料館で現地学習を行いました。 平和記念資料館のほか江田島海上自衛隊第一術科学校(広島県江田島市)を訪問し、受講者は平和問題について学びました。 現地学習は、5月30日(土)と6月6日(土)の二グループに分かれ、それぞれ平和記念資料館を見学した後、被爆体験者の証言を聴講し、被爆の実相について理解を深めました。

A班(5月30日の現地学習)

広島平和記念資料館の見学
広島平和記念資料館の見学

広島平和記念資料館の見学

被爆証言講話の聴講

被爆証言講話の聴講

B班(6月6日の現地学習)

広島平和記念資料館の見学
広島平和記念資料館の見学

広島平和記念資料館の見学

被爆証言講話の聴講

被爆証言講話の聴講

2.現地学習後の感想

私は祖母と暮らしているのですが、私の祖母も原爆を体験しました。幼い頃から戦争の話は何度も聞かされていましたが、 あまり熱心に聞いていませんでした。でも、今日色々なお話を聞いて、祖母がどんな思いで話していたのかと思うと、 何故今までちゃんと聞かなかったんだろうととても申し訳ない気持ちになりました。私の祖母はまだ元気ですが、 原爆を体験した人が居なくなる時は必ず来るんだと思うと、原爆の記憶が必ず薄れていくようで、とても怖いです。その時のために、 こうして私たちが学んでいるし、学ばなければならないと思います。けれども、全てを引き継ぐことはとても難しいと思います。 どうすれば少しでも多くのものを引き継げるのか、そういうことも考えていかなければならないと思いました。 これからはもっと祖母と原爆を体験した人の話を聞こうと思いました。

私は、広島県で生まれ、広島県で育ちました。これまで、小学生からヒロシマのこと、原爆や戦争のことなど学んできました。 以前、2年間名古屋に住んでいたことがあって、今までに増してヒロシマのことや自分が広島人であることの意識を強く持つようになりました。 これから私はもっと多くのひとにヒロシマを知ってもらったり、また、自分ももっとヒロシマを知って、 自分の周りの人や多くの人に核のことヒロシマのことを知って、平和を築いていきたいと思っています。今日の話を聞かせてもらい、 是非、今日から周りの人にヒロシマのことを伝えていきたいです。

資料館の見学もとても興味深かったのですが、実際に原爆を体験した方の話を聞くと、もっと全然違う現実感のある印象を受け、 いろいろと考えることがありました。核というと、よく政治の話を考えてしまうけれど、自分たちと同じ人間生活の上にそれがやってきたのだと恐怖を感じました。 我々の生きているこの時代も1945年と変わらないもので同じ人間生活が営まれているのだと思いました。

“生き地獄”だったという言葉がすごく印象に残った。お話を聞く機会を頂けたことにとても感謝したいと思う 。“生き地獄”だった時のお話をするたびに、きっと、その時の光景を思い出されるのだと思う。私もお話を聞きながら 、その時の光景が目に浮かぶようだった。周りの人を助けようとしたこと、必死にお母さんを探そうとしたことその全てが鮮明に思い出された。 そんな思いを誰にも味わせたくないという願いを、私も強く思う。竹岡さんが灯してくださった平和の灯を私の心に残し、さらに誰かに分けられたらと思う。 貴重な経験をありがとうございました。

私は、生まれも育ちも広島で小学校の時から平和学習などを通し、原爆の恐ろしさ、平和の大切さを学んできましたが、 実際に被爆者の方からお話を聞くのは初めてでした。私が思い浮かべた状況よりもっとひどい惨状だったと思います。 そんな辛い体験を思い出しながら語っていただき、改めて広島から世界に、もっと原爆について語り継いでいかなければならないと感じました。 私たちが出来ることは、被爆体験を語り継いでいくことだと思いました。そのために、もっと知識を得て私が平和を訴える電波塔の一つになろうと思いました。

私は県外から広島に来たので、被爆体験を聞くのは初めてでした。話を聞いていると、当時の様子が目に浮かんできて、 本当に胸が苦しくなりました。わずか64年前の広島で起きたことは今の広島市を見たら想像も出来なかったです。 最後には涙が止まりませんでした。この話を聞いたことで感じたことなどを今度は私たちが後世に伝えていきたいと思いました。

私は広島にずっといるけど、被爆者の方の体験を聞くのは今日が初めてでした。資料館には何度も行ったことがあるけど、 ピースボランティアの方の話を聞きながら周るのも初めてでした。今まで聞いたことのなかった話がたくさん聞けたのは一生忘れることができないと思います。 今日のことはしっかり胸に刻んで、次の世代に受け継いでいきたいと強く感じました。一人一人が自分のことのように聞き 話していくことで全世界に平和を広げていきたいと思います。悲しい過去だけど絶対に風化させないようにしたいです。これからも、 広島に住む私たちが平和を訴えていきたいと思います。

今日の講演を聞いて、まず一番に命の大切さについて考えることができました。こうして当たり前のように毎日を過ごせて、 本当に幸せなことだなと思います。今日は被爆者の体験を聞けて、すごく貴重な話が聞けて良かったです。 昭和20年8月6日に起きたリアルな体験が聞けたことは、これから生きていく上での糧になりそうです。

この度、戦争の話を聞かせていただいて、改めて戦争は恐ろしいものだと分かりました。 原爆投下時の詳しい状況を聞いていかに悲惨であったかを知り悲しい気持ちになりました。 その時の辛い状況を口にして説明することは大変つらいと思うのに事細かに話していただいて勉強になりました。 核兵器はこの世にあってはならないもので完全に廃絶すべきものだと思いました。

私は広島県出身です。小学生の頃から平和について学習してきました。社会見学では何度か資料館へ行くこともありました。 当時は受動的に見て聞くだけでした。大学生になり、それだけで終わってはいけないという思いが強くなりました。講義や体験談を聞いて、 さらに、今後は自分たちが伝えていく側にならなければならないと思いました。広島で生まれ、この時代に生まれ育ったからできる役割があると思います。 自分にできることをやっていこうと思います。小さなことかもしれませんが、平和の大切さが世界に広がり、 浸透することが全ての人にとって本当に大切なことだと思います。

広島で戦争があったということ、原子爆弾が落とされたということ、ものすごい被害だったということは保育園に通っている頃から聞いていました。 しかし、本当に今こんなにも平和で明るい街でそんなことがあったのだという実感は湧きません。それは、私以上に小さな子どもたちや、 広島県に住んでいない人や、原爆資料館に行ったことのない人たちにはなおさらだと思います。そのような人たちに原爆の被害、悲しみ、 不幸を“私”が伝えなければならないと思いました。もう二度と繰り返してはならない。そう言いつつ日本は戦争に向かっているのではないかと思います 。私にそんな大きな力はないけれど、みんなで戦争のない平和な世界にしていきたい。私は将来教師になったら、そのことを子どもたちに伝えていきたい。

今日は集合時間より早めに到着したので、見学の前に原爆ドームを見てから来ました。通りがかることはあっても、一人で足を止めてゆっくりと見る機会は余りなく、 久しぶりにゆっくり見、考えました。平和記念資料館に来たのは中学生の頃以来でした。その時は集団で見て回ったのですが、 今日は4人という少人数で、しかもピースボランティアの方が一緒に回って下さったのでとても有意義な時間を過ごせました。 特に印象的だったのが真っ黒に焦げたお弁当でした。お母さんが作ってくれたお弁当をお腹に抱えている状態で見つかったと知り、 涙があふれました。数回訪れたことがあるけれど、今日みたいにじっくり見て回ったのは初めてでした。戦争を終わらせるために原爆を投下したことや相生橋を狙 っていたことなど、頭では分かっているつもりだったことを、模型で再現してあるものなどを見て、より深く理解することができました。出口の所にあったG8サミットの カナダ連邦議長の「過去を記憶できない者はそれを繰り返す運命にある」という言葉が心にずっしりときました。今日、阿倍さんは、余り思い出したくないかもしれないことを 真っ直ぐ私たちに伝えて下さいました。今度は私たちが未来に伝えていく番だと再認識しました。お話の中にもあったように両親に感謝をし、 友達や周りを大切にしながら小さな平和の輪を広げていきたいと思います。

今までに資料館に来たことは何度もありましたが、ボランティアの方のガイドを受けるのは初めてで、 これまでとは違った見方で見学することができました。その後に、被爆者の方のお話で印象に残ったのは、火傷で苦しんでいる時、 父親が涙を流しながらやさしい言葉をかけてくれたという部分です。このことから「自分の親を大切にしなさい」と強く訴えておられました。 私の祖母もよく同じようなことを言いますが、今まで、私はそんなに気に留めていませんでした。でも今日のお話を聞いて、 その意味がやっと分かったような気がします。実は、私の祖母も被爆者なのですが、今回お話を頂いた方と祖母の姿が重なって見えました。 近いうちに連絡を取ってみようと思います。

平和資料館に来たのはとても久し振りで、ボランティアガイドの方も付いて下さったので、今までとは全然違う目線で見ることができた。 昔知っていたことでも忘れていたものを思い出したり、全然知らなかったことを知ることができた。 ずっと、広島に住んでいて平和学習もそれなりにやってきているのに、知らないことがたくさんあるのは恥ずかしいことだと思った。 8時15分が市民が一番外に出て活動していた時間だったというのはとても驚きで、それを調査したのは、原爆の実験というのが大きく感じられた。 生きていた喜びと死ねなかった悲しみ、当時は悲しみの方が大きかったのだと思う。原爆は放射能を含んでいて恐ろしいモノということは理解しているつもりだが、 それを多くの人に伝えていく、伝えていかなかったら世界はまた戦争に走っていくと思う。平和の時計の核実験からの日数がこれ以上リセットされないでほしい。

今回、資料館に来たのは、私が小学生の時以来でした。小学生の時は「怖い」と感じることがほとんどでしたが、成長してまた来ると、 全く違った感じ方になりました。一言では言い表せないような哀しみ、怒り、絶望感を感じました。そして、被爆体験のお話を聞きました。 淡々と話されるその内容に何度も涙が出そうになりました。私たちがこうして平和に暮らしていることがどんなに貴重で大切であるかを実感しました。 そして、本当に辛く、苦しく思い出したくないお話を私たちのためにわざわざしていただく事の意味を、私たちは考え、感じなければならないと思います。 私たちに出来ることは小さなことばかりかもしれませんが、広島で育った以上、やるべきことがあると思います。 自分の友達や家族にも伝えていくことが今日たくさん増えました。今日この場に居ることが出来て良かったです。

今日一日を通して、平和の大切さを再認識しました。資料館は2回行ったことがありましたが、案内していただいたのは初めてで、 自分一人で来たら、見なかっただろうなと思う場所がたくさんありました。戦争の体験を聞かせていただいたのは初めてで、 耳を覆いたくなるような話もありましたが、しっかり聞いて理解したいと思いました。平和である今がとても幸せなことなのだと知りました。 ”平和であるためには友達と仲良くすること。”という言葉が印象に残りました。小さな平和を大きくしていきたいです。ありがとうございました。

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