開設大学とシラバス

広島平和学習の旅

ミネソタ州立大学ムーアヘッド校
三田高敬(教育学博士)

2006年3月10日から18日までの旅を終え、学生たちの残した学習記録を見ながら、今回の旅行を顧みる。

現地視察

2006年6月にアナン・シャストリー教授(物理学博士)と2005年5月31日から6月4日まで現地視察をした。その間、広島平和文化センターの職員と会い、旅行の打ち合わせをし、広島平和記念公園、平和記念資料館、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館、放射線影響研究所等を訪れた。

平和旅行事前学習

今回の旅行の準備として、計6回、8時間のワークショップを催した。2006年1月23日の最初のワークショップの日にロジャー・スポティスウッド、蔵原惟繕監督の「広島」を見た。ワークショップの教科書として、核爆弾投下を是、非とする有力な人物の文献をまとめ、講義教科書として使った。

旅行の趣旨

シャストリー教授は物理学の立場から、核爆弾の物理的影響を客観的に学生に伝えたかった。

私は日本語・日本文化を教えているので、下記の理由からこの平和旅行の計画に加わった。

原爆を落としたアメリカの核爆弾使用は、戦争を早期終わらせるための道具としての有用論がアメリカの学校教育ではばかり通っている。

爆弾投下理由を、アメリカ兵の犠牲を少なくするためばかりでなく、日本人の犠牲者も少なくすることができたと教えている。核爆弾使用の人体影響、自然環境破壊、非戦闘員に対する無差別攻撃が戦争犯罪行為であるか否か等について記述している教科書はない。

よって、アメリカ人は核爆弾の恐ろしさを正しく教えられていない。核を保有する国家が増え、また核がテロリストに使われる可能性が高まった今日、核の恐ろしさを知らせる教育が将来、他国、自国の核の開発、保有、使用に歯止めをかける政治家、市民を育てることに役に立つと信じ、この平和学習旅行の企画に参加した。

平和教育の要は、核を投じた国のアメリカ市民への教育こそが将来の世界の平和運動には一番大きな影響力があると考えた。私は、特別な政治的見解をもっているわけではない。ただ、客観的に広島、長崎の悲惨さを学んで欲しいと願った。

学生の平和学習旅行の参加理由

広島平和学習の旅と銘打っても、学生の参加理由は、日本に気楽に行かれる旅への参加が一番の理由だった。
61年前の出来事を検証する旅行は、スミソニアン博物館に行く程度にしか思っていなかった。彼らの両親なら、今回の趣旨の旅行をかなりためらったであろうが、今のアメリカの若者は長崎、広島の悲惨さがたとえアメリカの「戦争汚点」と言われても、その戦争歴史の正しい情報さえも持ち合わせていないうえ、経済、工業大国、アニメ王国のプラスのイメージしかない日本に暗い過去を思い浮かべるものはいなかった。
一週間の旅行を終えて、帰国するとそのような学生の心境に大きな変化があった。

旅行計画の舞台裏

今回の旅行の参加者を多くないと見積もっていた上層部の者は、30名以上の希望者がいて、20名で締め切った事実に驚いていた。この保守的な地域の大学でこのような旅行に参加する学生がいるのかと思っていたのであろう。彼らが心からこの旅行計画に賛同していたようには思えなかった。私が今回の旅行計画発案者として直属の上司に相談していたら、旅行計画は難しかっただろうと思う。幸い、アメリカ人のシャストリー教授が全面的に表に出てくれたので、なんら反対もなく計画を進められた。彼の熱意に感謝している。

学生に与えられた学習課題

この平和学習旅行の単位(3単位)を得たいものは、学習記録(出発前の講義から旅行終了までの学習記録)とレポートを提出する。20名の参加者のうち、単位修得を希望したのは半数の10人であった。

学生の心境変化

10人の単位修得希望者の中でこの旅行の趣旨に沿って現地見学に特別の関心を初めからもったのは、10人のうち2人であった。下記に特筆する記録を書いた4人についての記述をまとめてみた。

学生A

「教科書にほとんど書かれていなかった歴史の一ページを知りたかった。祖父母たちに第二次世界大戦について聞く機会もなかったので、この旅行で祖父母たちのことがもっと理解できたらと思う。歴史を学ぶことにより、日本、日本人についての知識をもっと深めたい。」

この学生は帰国後、下記のように言った。

「歴史の明るいとこばかり教えられている人間にとって、暗い事実を知ることはとても有意義であった。暗いところも教えられて、バランスの取れた歴史観が心に残った。人は歴史の暗い面を知りたいとは思わない。しかし、次の世代に暗い歴史も正しく伝える責任がある。私とて、広島を訪れなかったら、このような大きい衝撃を感じなかったのだから。」

学生B

「この旅行で何か楽しい事を得たかった。日本語を履修していたが、あまり芳しくなかった。

しかし、日本の生活はそこそこやっていけると思ったので参加した。」 この学生は、広島市のみやげ物屋で働いていた同じ年齢の日本人の女性と気が合いカラオケに行った。

そのとき、思いもかけないことをこの日本人女性に言われたことが、今回の旅行の参加意義を総括したようだ。 「マキという同年代の女の子が、次のように私たちに話した。「人間は見かけはちがっても、皆同じ。お互いの文化を理解する努力をして、ともに平和のための最初の一歩を踏まないといけない。一人でもできることはある。」この当たり前のような言葉が私たちの心に深く突き刺した。同じ年齢のこの女性がこのように私たちに感動を与えたのだから、私にも何かができるはずだ。私も人間として何かできるはずだ。」

学生C
「学生生活を終えるのに、何もなく終わりたくなかった。だからこの旅行に参加した。原爆のことは全く知らない。社会学、教育学を専攻する学生として第二次世界大戦についてもっと学びたい。我々からの視点でこの原爆投下問題を見ているばかりでなく、相手方の視点から見た考え方も学びたい。アメリカ人は我々のサイドでこの問題を見て、日本人の観点を受け入れようとはしていない。私はもっと幅広い物の見方を学びたい。そして、私自身にとって、未来の学生たちに伝える知識が深まる。」

現地で学んで帰ると、下記のように自分の意見をまとめた。

「幼くして学んだ戦争体験は、大人にいたるまでその影響を与える。戦争と平和は軽い問題ではない。日本人は戦前愛国心、軍国主義を教えられた。戦後は平和、民主主義教育に変わった。アメリカは自国の学生に何を教えているのか。戦争を美化したことしか教えていない。私は仕事に就いたら、世界の歴史における平和に関しての事柄にできる限り関心を持ちたい。日本が非核保有国家として存在している事実のようなことに関心を向けるようにする。」

学生D
「この旅行に参加するとき、「わあ、一週間の外国旅行だ。」と思った。しかし同時にとても恐怖感もあった。日本を訪れるアメリカ人を歓迎する事実と裏腹に、否定的な言葉も聞こえる。【自信過剰、無知、知性欠如のアメリカ人】などと言う言葉を聞く。私は、良いアメリカ人の印象を日本人に与えたい。我々は原爆投下について、過去のものとしか見ていない。昨日見た映画は心が裂ける思いがした。同時に、軍隊の力の大きさも知った。トルーマン大統領にも多少同情した。一人で決断をしなければいけなかったので。」

この学生は帰国後下記のように述べた。

「広島の平和博物館で働く職員に平和についていろいろ語ってもらったことではなく、同年代の日本人に平和について言われたことが心に残った。私たちにあえて付き合う必要もなく、あのような問題を語る必要もなかったのに、彼女は気さくに平和問題を我々に語ってくれた。彼女は平和は国際理解から始まると言った。自分たちと同年代の彼女がそういうから、私にはさらに強く平和の尊さを感じた。田中教授からもらった名刺に、「憎しみあっていては前進はない」その言葉が心に強く響いた。このことを自分の生活に取り入れたいと思う。核武装放棄は簡単にできることではないが、核武装放棄が情けない態度と見られることに恐れなければ、できることだ。危ない武器を持っていることを誇るのではなく、持つことに抵抗することを誇りにすべきだ。」

最後に

私たちの大学に隣接するノースダコタ州には核弾頭ミサイル基地がたくさんあるが、この事実を知らない人がかなりいる。ミシガン湖周辺に原子力発電所がかなりある。核に敏感な日本人なら建物の形から普通の発電所でないことがすぐ分かるだろう。

10年前、ミシガン湖に面するインディアナ州のショッピングモールで隣に居合わせた中老のアメリカ人男性になんの建物か聞いたが、わからないと言った。その人の隣にいた仲間は普通の発電所だと言った。

今回の旅行で楽しいアニメの国に行かれるとウキウキ気分で出発した学生の心が帰国後、例え短期的なものでも、変化したことは有意義な研修旅行だったと思う。
2007年の旅行についての問い合わせがかなりあった。2007年は旅行計画はないが、2008年にあると伝えた。

今回の平和学習旅行で広島平和文化センターの方々に多大なるご支援、ご協力をいただいた。そのおかげで第一回ミネソタ州立大学ムーアヘッド校の平和学習旅行は大成功に終わった。重ねて御礼申し上げる。

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