開設大学とシラバス

タフツ大学 原子爆弾の文化的影響(Cultural Legacies of the Atomic Bomb)最初の論文の課題

5ページの論文を、9月27日(金)にライティング・フェローに提出し、最終稿を10月7日の授業開始時を提出期限として、次のシナリオに沿って書きなさい。

時は2003年8月6日。

広島に原爆が落とされてから58周年にあたる日です。あなたはそこでインターナショナルスクールの中学・高校生に歴史を教えています。あなたは米国が日本に対し原爆を使用した理由を説明して欲しいと質問を受けました。また、これらの行為の理由についてのあなたの意見も求められました。あなたはどのように答えますか?

4人の生徒があなたの意見を更に説明して欲しいと求めています。1人はヨーロッパでの戦争が終わる前に原爆が完成していれば、ドイツに投下されていたとあなたは思うかどうか尋ねています。

もう1人は、ヒロシマ・ナガサキは戦争犯罪であり、そのように認識されるべきだと強く主張しています。三人目は原爆が落とされたのは米国に蔓延する人種差別のせいだと論じています。
四人目は嘲笑的に、いかに長崎原爆が正当化されたのかを尋ねました。あなたはどう反応しますか?あなたの意見の裏づけとしてどのような点を指摘しますか?

または

私たちは20世紀の残虐行為についての文献を読んできました。また、21世紀の残虐行為からちょうど一年が過ぎたところです。

このような悪虐で見るに耐えない資料を読み、思索する目的について疑問を呈する人もいるかもしれません。別の人は、これらは理解すべき必要不可欠な行為だとして満足するでしょう。

しかしあなたはそれらをどのように理解するのでしょうか?南京大虐殺、真珠湾攻撃、バターン死の行進、東京大空襲、広島・長崎への原爆投下について知ることの重要性をあなたはどのように評価しますか?それらは比較できるものでしょうか?それは尋ねるべき疑問なのでしょうか?ひとつの行為が次の行為を正当化するのでしょうか?説明してくれますか?あるものは別のものよりも悪いといえるのでしょうか?それらすべてひっくるめて「悪行」にすぎないのでしょうか?大量殺人行為に対しどのような判断を下しますか?そしてそれらを学ぶことから何かを得るべきなのでしょうか?

それらを学ぶことから得るものがあるという場合は、私たちが得られるものは何なのか、なぜそうすることが必要なのか、説明できるよう準備してください。「二度と繰り返さないために」というのが共通した答えです。しかし「それ(残虐行為)」は繰り返し、繰り返し、起こってきました。そこで、私たちは何を学んだのでしょうか?

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