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田上富久 長崎市長のカザフスタン訪問の報告

アスタナ市内


カザフスタンのセミパラチンスク核実験場では、旧ソ連時代の1949年以降、約40年間に450回以上の核実験が行われました。周辺住民には正確な情報が伝えられないまま、放射能汚染が繰り返され、百万人以上もの人が被曝したといわれています。
その後、カザフスタンの人たちは、ソ連からの独立とほぼ同じ1991年に核実験場の閉鎖を決め、保有する核兵器を廃棄しました。

実験場閉鎖から20年が経つのを記念して、カザフスタンの首都アスタナで2011年10月12日と13日に開催された「核兵器のない世界を目指す国際フォーラム」に、被爆地の市長として、また平和市長会議を代表して出席しましたので、関連行事も含めて報告します。

 被爆体験講話(アスタナ)

まず会議に先立ち10月11日に、フォーラム会場の独立宮殿にて、「ヒロシマ・ナガサキ写真パネル展」を開催しました。

その後、カザフスタン人文法科大学を訪れ、300人以上の学生たちを前に、非核特使の本村チヨ子さんに被爆体験講話をしていただきました。

被爆体験の証言をとおして、積極的にコミュニケーションをとろうとする本村さんの姿は、カザフの若者の心に強い印象を残したことと思います。

 分科会1

翌10月12日、いよいよ「核兵器のない世界を目指す国際フォーラム」が開幕し、開会式に引き続き開催された「核兵器のない世界の実現」をテーマとした討論で、発言の機会をいただきました。
私は、「核兵器の開発や維持に多くの経費と時間と科学技術を費やしてきたことで、安全が保障されるどころか世界全体がかえって核兵器の危険と脅威にさらされている。この『現実』を直視すれば、『核兵器のない世界の実現』だけが、都市を核兵器の脅威から解放し、国際社会の永続的な安全を保障することと理解できるはず」だと訴えました。

起爆装置

さらに、核保有国も非核保有国も「包括的核実験禁止条約(CTBT)」の早期発効や「核兵器禁止条約(NWC)の締結に向けた多国間交渉の早期開始」など、「核兵器のない世界の実現」に向けた具体的な行動を起こすよう要望しました。

10月13日は、フォーラムのプログラムの一つとして、セメイ市(旧セミパラチンスク市)を訪れました。
核実験のためにつくられた機密都市クルチャトフでは、核実験を紹介する展示室を見学しました。実験のスイッチや被爆した豚の頭や内臓の標本、実験結果の測定に使うさまざまな器具が展示されていました。

グラウンドゼロ

ソ連最初の原爆実験、水爆実験が行われた核実験場も視察しました。

ステップと呼ばれる広大な荒れ野の中に観測用のコンクリートの廃墟が点在し、私たちが乗ったヘリコプターが着陸したところから約1km先には赤い旗が立てられた「爆心地」が見えました。
この場所が450回以上におよぶ核実験により大きな犠牲を生み出した場所であることに強い衝撃を受けました。

フォーラムの締めくくりとして、セメイ市内の核実験犠牲者を悼むモニュメントのある公園で、約2万人もの住民が集まり、実験場閉鎖20周年を祝う集会が行われました。

死よりも強しモニュメント

私は、中央アジア5カ国を非核兵器地帯化する「セミパラチンスク条約」の発効に主導的な役割を果たし、そして実験場の閉鎖と核兵器の放棄という勇気ある道を選んだカザフスタンから、「核兵器のない世界」への道をめざし行動する人々の輪が世界に広がるよう希望すると演説しました。

今回のカザフスタン訪問では、特にセメイにおいて、「ナガサキ」という言葉を聞いて、集まったカザフの人たちの間から歓声が起きました。
それは、長崎市や長崎県、長崎大学などで組織する「長崎・ヒバクシャ医療国際協力会(NASHIM)」が、セミパラチンスクのような放射線汚染地域でヒバクシャ医療に取り組んでいることをセメイの人たちの多くが知っているからでしょう。

長崎市長スピーチ(セメイ)

私は被爆地市長として、たいへん誇らしく思いました。 と同時に、カザフスタンとも連携し、核兵器の恐ろしさを世界に伝え、一日も早く核兵器のない世界を実現させなければならないとの思いを新たにしました。







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